心の原風景・・・・・ [自分]
昨日、今日ととても寒い日になりました。
何気なく季節の変化を感じながらの毎日ですが、気ままに或いは我が儘に成り行きに
任せて過ごしている昨今の私にとっていろいろと世の中の様相について思う事の多い
日々となっています。
人は常に思い通りにならないことを思い通りにしようと思うと苦しまなければなりま
せん。
何事に於いても、ものさしにとらわれている者は何歳まで生きても『こんな筈ではな
かった』と欲をだしてしまいます。
常でないものを常だと思うところに苦しみがあるのでしょうね、思い通りになると言
う自我が無常によって砕かれたとき目覚めるのでしょう。
人は生きてゆく上での経済的な悩み、人間関係の難しさに悩む日々は同じだと思いま
すが、価値観が変わる事により、苦しい中にも、ある種の心の安らぎを得られる様に
なれたら事実を受ける事が出来るのかも知れません。
人はこの世に生まれて死に至ります。
苦しみの極地に至った時、心の深みからほとばしり出る言葉はなんでしょう?
私が癌を告知され死を意識したとき、心の深みに聞こえて来たのは私を呼ぶ母の声で
あり、また私から母を呼ぶ声でした。
世の中の荒波にもまれて長い間、忘れていた私の中のもう一人の私の叫びで声であっ
たのだと思います
幼児が母の名を呼び、母を得て歓喜の声を上げ、その胸に心のままに全身を投げ込ん
で安らぐこの心の原風景を思い出してみるのも必要なのかも知れません。
『無常』とは・・・・・ [自分]
三月も終わると言うのにまだまだ寒い日が続いています。
我が家の近くの公園の桜並木はまだ三分咲きと言ったところです。
でも暖かくなれば直ぐにでも満開となって華やかに我々を迎えてくれると思います。
春の陽気に気持も弾んで希望を膨らませて良いリズムで新しい門出を迎える人も沢山いらっしゃる
事と思いますが順風に乗って気持良く歩んで行ける様に願う思いです。
今の社会の歪んだ部分に絡まない様に、被害を被らない様に、心に傷を負わない様に若い人達が闊
達に活躍出来る事を祈りながらの日々です。
人の心の移ろいは誰にでも当たり前にある訳ですが、それを自分本位に思い過ぎてしまうと人間関
係はギクシャクしてしまいます。
それが原因で起こるさまざまなトラブルがお互いの心を傷つけてしまい悪い結果となって大きな過
ちなどに発展する事にでもなったらそれこそ大変です。
ストレスが堪って心がぼろぼろになると神経症を発する要因になるかも知れないのですから要注意
ですね、そうならない為にも自らの心に問いかける自愛の思いを大事にする事なのでしょうか。
『無常』私が何時も己の心に問いかけているキーワードです。
まだまだ咲かせてみたい・・・・・.。 [自分]
昨日は小雪がちらついてとても寒い一日でした。
寒さが苦手の私にとっては早く暖かな季節の到来を待つ思いになりますが、自分勝手な思いに
他ならない事の恥ずかしさも持ち合わせてたりしています。
でも今月ももう半ばとなりましたが、逃げ足の速い二月を象徴する様に時が過ぎて行くのを感
じてしまいす。
自分の遣りたい事が山ほどあって、一日が二十四時間では足りないくらいに思えた若き頃は遣り
たい事の優先順位に悩んだりしたものです。
若いと言う事はそれだけ意欲も旺盛でエネルギーが漲るが如しだったのだろうと回想したりして
いますが、何時迄も気合いを持って事に当たりたいと願う気持は今でも旺盛だと思っています。
何をやるにも一生懸命、精一杯のチャレンジをして難儀な事でも突破するぞという気概が一番大
切な事を人は経験則として持ち合わせています。
生きている間は自分が出来る環境の中でいろいろな事にチャレンジして己の心の中に花を咲かせ
てみたいものだと願いながら自分自身を応援している私です。
足るを知る事が・・・・ [自分]
足るを知る事こそが無駄を省き一所に偏らず、多くの人々に利が供給出来るのだと思うのですが
人の世はそうはいかないのが現実と言うものでしょうか。
皆で仲良くなどと言うのは口先のお上手である事を実感してしまうのは哀しい事ですが仕方のない
事なのかもしれません。
和気あいあいを求めて人は集いますがその内に自然に表と裏が出来て行ってしまうのは何故なので
しょうか、最初は正円だった関係が時を重ねる毎に歪んで行くのは致し方のない事として傍観する
姿勢でいないと歪みを生じさせている渦の中に巻き込まれてしまう事になるでしょう。
長い物には撒かれろ等と言いますが人はそれぞれですから一様には語る事は出来ませんね、その時
々の事情によって自分自身の為に判断しているのだと思います。
根も葉もないに等しい悪質な情報を流されて窮地に追い込まれてしまった人達の気持を考えると何
だかとても寂しく悲しい気持ちになってしまいます。
成果主義の社会で [自分]
刻々と時は過ぎて行き自分の歩んで来た軌跡がその生き様を残していきます。
時の流れはひと時たりとも止まる事なく通り過ぎて行くだけですから気が付いてみれば今日も
一日が終わってしまったと言う事になったりします。
寝る時間も惜しんで仕事に精を出して自分を滅して迄も組織の為に貢献している人達が沢山い
る事だろうと思います。
成果主義の此の社会で生き残る術は唯我武者らに働いて報いを得るしかないのでしょう。
一生懸命に人脈を構築して自分が良い立場で居られる様励んで行く事がとても大事な事の様で
すが、現実は信頼していた人に裏切られたり、自分では思いもよらない貌で足元をすくわれた
りする事も多い様です。
自分の心が歪にならない様に何時も心掛けていたいものだと願うと共に反省したりしています。
『ほんの気持』 [自分]
金の切れ目が縁の切れ目と云う、まさしく今の社会を象徴しているのではないでしょうか。
人と関わり合うにも必要なコストがかかり、それが出来なくなければ必然的に離れざるをえな
い事となってしまい孤独へと追いやられて行くのがオチのようですね。
日本は宗教がないので社会と関わり合って多くの富を築いたた裕福な人達がそれを社会に還元
すると云う気とくな人が出て来ていないのが現状の様ですね、欧米社会の様に裕福な人は教会
に寄付をして困っている人達を救うセーフティーベースを民間でつくっている。
残念ながら日本は自分さえ良ければ良いという人達が席巻していて貧しい人達を見下すかの様
に振る舞う世情が垣間見えて、昨今のニュースで住処を追われ路頭に迷い行く所も無くなって
人とのコミュニケーションも途絶えてしまい、孤独の椅子に腰掛けて誰からも承認されなくな
った弱い人達が挙句の果てに死を選んでしまうこの様な悲しい現状が今の世の中ですね。
私に於いてはささやかなのですが自分の出来る『ほんの気持』を実行しています。
『人』という字の如くお互いに支え合って心を通い合わせて行く、本来の日本人の持っていた
優しい心根を取り戻さなくてはいけないのだと、今年も一年を振り返りながらしみじみと考え
てしまうわたしです。